湯浅卓雄氏からの手紙 / letter32 (テキスト版)
PDF版はこちらをクリック下さい→【PDF版】を見る
2011年5月
Letter from Takuo
この度は、東日本における大震災が、想像を絶する多くの犠牲者と被害者をうむ本当に信じられないような甚大な災害が起こりました。日本中が今このことで心を痛め、復興を願っています。  その日、私は丁度パリにいて、フランス国立管弦楽団との録音や演奏会を終え、イギリスの自宅に戻る日でした。朝起きてホテルのテレビをつけると、見るも恐ろしい津波の光景が、ニュースに何度も繰り返し出ていました。その朝は街に出て買い物でもする予定でしたが、空港に行く為に予約をしていたタクシーがお昼過ぎにホテルに迎えに来るまで、テレビのニュースに釘付けで、とうとう街に出る事はありませんでした。お土産はおあずけです。  この日を境に、日本は今までとは間違いなく変化するように思います。私には、戦後の経済がここまでの繁栄を作り上げて来た多くのものが崩れ落ちる姿とかぶさって見える思いがしました。私はバブル絶頂期の20年以上も前から、日本がこのままでは“緩やかな没落”の道を辿っている、という事をずっと身近な人と話をして来ました。それは,私がこれまで毎年、頻繁に海外と日本の往復をする生活の中で、日本に戻る度に様々な事に気がつくようになっていたからです。  素晴らしい経済の発展による繁栄を謳歌してきた裏で、地に足が着かない価値観が蔓延し、「貪欲の文化」が世の中を支配するようになっていたように感じていました。豊かさを得、自己中心的な欲望を追求し、社会人としての義務や、弱者への優しさを顧みない存在が急増したように思います。  私の予想通り、銀行や金融業は多くが破綻し、その後、特に最近、日本の代表的“威信”と呼ばれるべき存在がその地位を根底から揺がされる出来事が沢山起こっています。景気は最悪で、世界の経済大国2位の位置を中国に譲り、政治は混迷し、司法はそれを守るべき検察が権威を落とし、年金制度は崩壊寸前、学校教育の現場は困難を極め、日本の国旗を託された「日本航空」は倒産し、品質の信頼性を誇っていたトヨタが世界中で最新車のリコール。国技である相撲は見る影もありません。関西では、大阪の食文化のシンボル的存在であった老舗「吉兆」が恥ずかしい有様で店じまいに追い込まれました。  そんな日本に、今回のこの大震災が起こり、タイミングとしては最悪としか言いようがありません。  この私のLETTERは、毎回、私の活動を皆様にお伝えする事を目的に書いているのですが、やはりこの震災のことを書かない訳にはいかないほど大変な出来事です。  さて、つらい前置きの後ですが、やはり近況のご報告をしない訳にはまいりません。長いLETTERになりそうです。あしからず。 ***  まず、最初のニュースは、今年の2月から日本での所属マネージメントが新しい会社になりました。それはAMATI(アーティストマネージメント・トウキョウ・インターナショナルの略です)といいます。一年半程前にカジモトから独立した新しい会社です。私の担当は<安倍庄平>さんです。よろしくお願いいたします。  秋から始まった今シーズンは、まず東京藝大の演奏会からでした。10月の初日、東京都主催の「アジア音楽祭in東京」で、藝大の奏楽堂で行われました。この演奏会では特に“アジアの歌”を中心に珍しい韓国の伝統音楽とオーケストラとの共演や、人気の山田耕筰の長唄交響曲「鶴亀」も再演いたしました。またその一週間後には東京藝術劇場で、珍しい邦楽器のオーケストラ(お琴、三味線、尺八、笙等)を指揮して、松下功作曲「飛天遊」を和太鼓の第一人者林英哲さんとの共演でした  同じ月、今度は藝大の学生オーケストラを連れて、長野県伊那市で行われた音楽祭に出演。ここは東京音楽学校の初代校長であった伊澤修二出身の街で、毎年藝大の学生オケが招かれて演奏しています。  その数日後、私はデンマークに飛び、オーフス響の定期を指揮、ここではベルリオーズの「幻想交響曲」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」等を指揮。とんぼ返りで東京に戻り、東京都北区の主催の「北とぴあ」演奏会に藝大の学生オケとに出演。この辺りは、しっかりと藝大に御奉仕。その直後も、若いフレッシュな一年生の弦楽合奏の演奏会や、藝フィルと台東区民の「第九」公演と続きました。  しかし、何と云っても藝大関係で特筆すべき事は、私がかねてから企画し、教授会などにも提言していた、東京藝大による、ナクソスの「日本作曲家選輯」への参加です。このシリーズは、10年以上前からナクソスが日本の作曲家の作品をシリーズにして、広く世界に発信する事を目的に立ち上げられた企画で、既に20枚を超えるCDがリリースされ(私はそのうちの9枚)、そのほとんどが日本においてベストセラーになるほどの人気シリーズです。ついこの間も、私の指揮による松村禎三の「交響曲」が発売されたところですが,報告によると発売後の3ヶ月で4000以上のセールを果たしたと聞いています。(この松村禎三のCDは御陰さまで“レコード藝術”誌の特選盤を頂いています。)  ナクソスのこの企画を進めている中、私は2008年から東京藝大に関わるようになって、その藝大にはハード、ソフト両面の非常に優れた人材(演奏家)と施設(奏楽堂)と最新の機材が存在する事を知りました。これをフルに活用しないのは大変もったいない、ということから、この3年近く、こつこつと企画の実現に向けて、ナクソス、大学内の各関係委員会との根回し、交渉を含め実現化を進めておりました。明治時代の日本における西洋音楽の創成期から、多くの人材を輩出し、日本のクラシック音楽の歴史を担って来た東京藝大こそ、このような企画を実現する最も相応しいところではないかと考えたからです。世の中の財政事情が非常に厳しい昨今、東京藝大も例外ではなく、この企画は殆ど計画倒れかと、ほぼ諦めていたところ、急遽、宮田藝大学長からの企画承認のニュースが、デンマークで指揮をしていた私のところに届きました。その上、宮田学長ご自身の「宮田亮平基金」からもお金を提供していただき、ついに録音が実現することになりました。  藝大が制作という事で、やはり東京藝大ゆかりの作品がCD化される事が相応しいということになり、今回は、東京音楽学校時代の作曲科の主任教授であった橋本國彦が、退官後の1947年に、「日本国新憲法」の制定を祝って書いた「交響曲第2番」を録音することになりました。この曲は、その初演以来一度も再演される事がなく、60年以上の間、ある資料館の箱の中に埋もれていた作品です。その自筆の楽譜が残っていただけで、レコードも何の音源もありません。  急に決まった為、与えられた時間は短く、私は楽譜調達、楽譜検証、整備から、録音スタッフ、奏者のスケジュール調整等の問題等、ここではとても書ききれない程の数多くの超えるべき課題を各方面の協力を得て、短い期間で克服し、今年2月20、21日の二日間、藝大有するプロのオーケストラ、“藝大フィルハーモニア”の演奏で、藝大奏楽堂で無事録音を果たしました。60年以上の歳月を経て、やっと埋もれていた楽譜に命を吹き込んだ充実感と満足感があります。  この「交響曲第2番」は、大変聴きやすい親しみ易い曲で、今後末永く日本で多くの聴衆に接してもらいたい作品です。また、同時に録音した他の作品のひとつが、「三つの和讃」というバリトンとオーケストラの為の曲で、現在絶好調の福島明也さんのソロで録音しました。これは親鸞の書いた「浄土和讃」から選ばれた3つの和讃を歌にしたもので、とても美しく、日本のオケ伴の歌曲として、きっと将来歌われる機会が増えていくものと思います。    さて、東京での録音の2日後、私は機上の人となって一路フランスへ。 フランスでは、パリでフランス国立管弦楽団との録音。これはラジオ番組の為の現代音楽の初演(初録音)というもので、若いフランス人の作曲家の作品でした。これがまた、若いだけに野心的作品で、極度に複雑に書かれていたため、私は恐らく50時間(演奏時間はたったの12分)はこの曲の準備(勉強)に費やしたと思います。(それも橋本の録音等をやりながら!)しかし、そのかいあって大変スムーズに録音は終了。2日間の録音予定を一日で仕上げました。その翌日、今度は同じフランス国立管と、南フランスのプロバンスでの演奏会のための練習が始まりました。このプログラムは得意のブラームスの交響曲第1番でしたので、大変充実した、楽しい練習時間を国立管のメンバーと過ごす事が出来ました。  2日間の練習後TGV(フランスの新幹線)でプロバンスへ。 しかし、私にはここでまた別の仕事がありました。フランス国立放送がかねてから進めているプロバンスの市民(アマチュア)によるオーケストラを指導する事を依頼されていたのです。このオケには500人の中から選ばれた、地元の10歳から76歳の老若男女、およそ100人が参加。朝から夕方まで、詳しく音楽の説明をしたり、なだめたりすかしたり、励ましたり、と大変でしたが、現地の人たちと大変楽しい音楽の時間と、人間的交流が出来ました。勿論、言葉はフランス語です。でもこのイベントの最終日には、フランス国立管のメンバーも多数参加して大オーケストラのお祭りのような演奏会を開催。これが空前の盛り上がりで、打ち上げパーティーは大変でした。  その空前の演奏会の翌日が、今度はフランス国立管弦楽団の演奏会で、この演奏会に日本から我が後援会のツアー・グループ約20名が駆けつけてくれた、ということになります。このフランス国立管の演奏会もほぼ完売で、後援会の皆さんもいい座席を手に入れるのに苦労されましたが、なんとか最後はいいところに座れたようでした。終わってからの恒例のディナー・パーティーもかなり遅い時間まででしたが、楽しい食事を一緒にさせていただきました。皆さん、遠いところまで有り難うございました。この演奏会の様子は、参加のどなたかが書いて下さると思います。  そして、このプロバンスでの演奏会を終えてパリに戻ったときに、大震災のニュースがあった訳なのです。  その後、一週間イギリスの自宅で休養。といっても毎日、テレビから流れる日本の震災のニュースが気になり、まともに音楽を考えるどころではありませんでした。でも奮起して再び稼働。今度は、最近毎年招かれているポルトガルのポルト国立交響楽団。プログラムはプロコフィエフの「交響曲第6番」。これは一応私の得意のレパートリーだったので、大変すばらしい演奏会になりました。このオケには今年の秋にまた招かれています。  ポルトからは直接パリに戻り、エール・フランス航空で成田へ。2日後に有楽町の東京フォーラムで行われました花柳流宗匠・花柳寿輔「傘寿記念公演」に参加。これは震災で中止になるかと思われましたが、チャリティーというかたちで行われました。私の担当はいきなりオープニングで、山田耕筰作曲「交響曲鶴亀」。最近だけでも2回目です。この「鶴亀」は邦楽関係者の間で大へん人気で、今後も恐らく邦楽の人たちが公演の機会を持ちたいと思われる曲です。今回の舞台は日本舞踊がはいり、とても華やかなものでした。(ただ、震災直後で、少し祝祭色が強すぎるかな?とは思いましたが。花柳寿輔氏の傘寿も二度とない機会ですし、計500人近い人が舞台に立つために準備されていましたし、日本全国から6000人近くの観客がすでに切符を購入、ホテルまで手配していて、これは組織的に見ても、どちらに転んでも難しい選択であったと想像出来ます。)  この次の週は4月に入って、大阪シンフォニーホールで、大阪シンフォニック・クワイア(OSC)によるブラームス「ドイツ・レクイエム」の演奏会がありました。多くの演奏会がキャンセルや延期されている中、この演奏会は、皮肉にも「レクイエム」であったことで、かえって演奏会としては時機的に相応しいものになってしまいました。この演奏会では、当初プログラムに予定していた、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」からのオーケストラの曲を変更して、先日東京で録音した橋本国彦の「三つの和讃」を皆さんに披露することにしていました。“極楽浄土”のことを歌うこの曲が、これまた結果的に今回の震災の犠牲者の冥福を祈るに相応しい曲となってしまいました。  ドイツ・レクイエムは大変難しく、歌う量も沢山あります。この曲はブラームの代表作品で、そのドイツ語のもつ意味と、語感が見事にその音楽的内容と調和がとれていて、合唱団は音を正しく歌うというだけでは演奏の意義には足りません。全7曲の中に込められている一貫した精神の流れが、最後に達成されなければならないのです。OSCは過去3回のこの曲の演奏会をしていますが、今回がもっとも近づいて来た、と言ってもいいのではないでしょうか。OSCとしては立派で感動的な演奏会でした。    さて今は5月、私は再びヨーロッパに戻ってこれを書いています。来週からベルギーのブリュッセル・フィルの演奏会でリムスキー・コルサコフ作曲「シェヘラザード」などを演奏する予定です。 ********  冒頭で「日本の変化」についてふれました、やはり私は今回の大震災で、生きる事の意味、自然との関わり、日本の今後の在り方など色々な事を考えてしまいます。  この悲劇は、しかし、強烈に多くの事を教えてくれました。沢山の方々が突然命を奪われ、基本的に「生きている」という事実の“もろさ”を思い知らされました。また、多くの方々が生活の基盤である「家」、「仕事」、そして「全ての持ち物」を失われました。最悪のケースは、大切な家族を失う事、そして親しい友人を失う事です。  でも、生存者には「生きている」という事実がしっかりとあります。近年、物質主義、実利主義に奔走して来た日本で、全てを失っても生きていく事は出来る。ここに「生きる事」の原点を考える機会を我々は最も厳しい方法で教えられた気がします。人間はもともと体一つ以上何も“所有”しているものなど無いのです。健康である事、夢や希望を持つ事、それらを分かち合える人を持つことなど、本当はもっとも身近で単純なことこそが生きることの大切な要素なのだと云う事ではないでしょうか。このことの認識から、日本が、今までありがちな殺伐とした貪欲追求の生活を修正して、もっと優しい社会になっていってほしいと思います。   今スポーツ選手が、盛んに「被災者」の皆さんを勇気づけるという目標をかかげて競技をしています。私たちもこのような難しいご時世に、演奏会を中止する事よりも、「音楽をする」ことこそ、大切なことと考えます。勿論「何」を演奏するかが問題ではありますが、音楽は直接心に訴える力を持っていて、今こそこのCompassion「思いやり」「同情」、―書き換えると――「心を共有する」を可能にする音楽、に参加して、言葉では伝えきれない気持ち、感情の表現を体験し、心を一つにする事が大切ではないかと強く思うのです。 湯浅卓雄 2011年5月3日、スコットランド